Uri-Karaku
(ウリカラク)
電子通信 Vol.3
演奏会案内
ウリカラクは人と音楽が出会う地平を拓く装置として存在する。現在、コンサートホールの中は、さまざまな人々のさまざまな価値観で溢れかえり、我々は唯々戸惑うばかりである。人と音楽が率直に、ありのままの形で出会う事が出来る場所。それこそがウリカラクがひたすら求めるものなのだ。もちろん、ウリカラクは、さまざまな価値観を少しも否定するつもりはない。芸能人のような可愛らしい音楽家を愛ずるように楽しむ人も、有名な音楽家(たとえそれが実力を伴っていなくとも)を直に見てみたいという素朴な希望も、その為に入場券を買い求め楽しむ、それは消費という現場でおこる、あまりにまっとうな清々しい風景だ。ただ、さまざまな価値観のなかで、ひたすら音楽そのものに比重を置く、それがウリカラクの考え方なのだ。 そこに立つだけで体の中から音が溢れ出てくるような天性の音楽家、そして唯々渇いた喉を潤すように音を求める聴き手の方々、その幸福な出会いの場を作る。それがウリカラクの願うところなのだ。 音楽は、強く、美しく、激しく、繊細で、甘く、切なく・・・そして、かつ言葉にしてしまうと忽ち銭湯のペンキ絵のようにしらじらしいものになってしまう不思議な存在だ。その不思議なものを、じっくりと余す事なく音でもって語り尽くしてくれる語り部として、さまざまな音楽家を迎える。そして三百人から四百人位の小さなホールが、素晴らしい音楽で満ちあふれる。そんないくつもの美しい夜を創り続けたい。我々が本当に望むのはただそれだけなのだ。 この演奏会を最も楽しみにしているのはもしかすると主催者である我々自身かもしれないと、時として思う。どうか、皆様、ぜひとも足を運んでいただき、これらの音楽に直に触れていただきたいと切望する。 ウリカラクという名前は、ウリ(私たち)カラク(リズム、節)という韓国語からとった。ウリカラク、すなわち「我々の歌」とでもいおうか。ただ、実際の韓国語では、ウリという言葉には韓国人の特別な思い入れがあり、単に我々というよりはむしろ、祖国の、韓国のというニュアンスが強いらしい。我々は韓国人ではないので、祖国のとはいえないが、それでもその強い思いにひかれ、この言葉を借りた。時折、韓国人ではないのに何故韓国語を使うのか?と問われるが、ただこの言葉の強さに惹かれてとしか言いようがない。ちなみにキャバレーロンドンの社長はイギリス人ではないし、フランスベッドの社長も日本人である、念の為。 |
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